令和時代まで残った生浜町役場

  2019/12/21
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1889年(明治22年)に浜野村、村田村、北生実村、南生実村、有吉村が合併し千葉郡生実浜野村となり、その後に生浜村→生浜町に名称が変更され、1932年(昭和7年) に町役場庁舎が建てられました。

現在は千葉市指定有形文化財(建造物)に指定されており、毎週火、木、土曜日に一般公開されていて、内部を含め見学できます。写真は台風15号被害による瓦屋根の修復工事中に撮影
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1955年(昭和30年)に千葉市に編入されると生浜町は廃止され、何故か浜野町、村田町、生実町、南生実町と明治時代の合併前の状態に戻っています。

現在では生浜町の痕跡は、学区(通学区域)と小中学校の名称だけでしょうか?
ちなみに読売巨人軍の元監督 高橋由伸さんは生浜中学校の出身なのです。
旧生浜町役場の建物は、昭和30年に千葉市に編入されてからは出張所として1992年(平成4年)まで使用されていましたが、千葉市で昭和62年に 住民情報オンラインシステムが導入されるとこの昭和初期の建物も内部は電算化されました。昭和の終わり頃は、市役所まで行かないと住民票が即時交付されなかった(当時は全国的に)なのが、昭和初期のまま使用されてる建物で即時交付されたのには驚きました。

この頃、住民情報のオンラインシステム化を行っていたのは極僅かな自治体だけでした。

1987年(昭和62)と云うと、アップルコンピュータが「Macintosh II」と「Macintosh SE」を発表し、NECがPC-9801VXの時代です。(Windowsはまだ無かった)
この頃は日本のパソコン通信黎明期であり、またインターネットは現在のような姿では無く、大学や企業の研究所を繋ぐJUNET(ジェイユゥネット、Japan University NETwork)なる実験的なものしか有りませんでした。
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カバー写真は、FRP(強化繊維プラスチック)で製作した甲冑(当世具足)です。 現在活動中の甲冑工房として、江戸時代の本物から型取りした...
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